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両親から花嫁へ、感動のサプライズ秘話
結婚式は新郎新婦の新しい人生の門出でもあり、育ててくれた親への感謝の気持ちを伝えることができる場であると同時に、親にとってもまた、立派に育った我が子を送り出し、新たな一歩が始まるステージでもあります。
今回はそんな結婚式で起きた2つの感動のサプライズをご紹介します。
1. 花嫁とのラストダンスで父がした行動
アメリカでは結婚式の日に父と新婦によるラストダンスを行うことが風習になっています。
娘として踊る最後のダンスに思いを馳せるのですが、なぜか父がダンスを拒んで踊ってくれません。
悲しむ娘に父が取った行動とは一体何なのでしょうか?ご覧下さい。
アメリカの結婚式の風習は「ラストダンス」
アメリカの結婚式では、当たり前の光景として新婦とその父によるラストダンスが行われます。
結婚する前に最後のダンスを踊るからラストダンスと言われています。
父としてみれば、娘として踊る最後のダンスです。
アメリカならではの風習ですね。
父がラストダンスを拒む理由
感動のラストダンスにも関わらず、父はなぜか途中でダンスをやめて拒んでしまいます。
「もういい。」そんな素振りを新婦に見せて、これ以上踊ろうとはしません。
新婦は記念すべき日の最後のダンスなので訳も分からず悲しくなります。
「なぜ、私とダンスを踊ってくれないのだろう?」。
父の拒む理由が見つかりません。
その時でした。
後ろから不意に神父様から二人に手渡されたのです。
それはグローブとボールでした。
父はにこやかになりグローブとボールを手に取りキャッチボールを新婦と始めます。
父がしたかったのはラストダンスではなく、娘とのラストキャッチボールだったのです。
「私の娘はいつも自分の道を自分で切り開いてきた。私の娘は小さな頃からドレスを嫌がりタキシードを着るような子でした。そして男勝りなスポーツばかりしているようなアクティブな少女だったのです。そんな彼女が22歳になり、就職先は世界最大の自動車メーカーのエンジニア。こんな娘とラストダンスを踊るなんて想像できなかったよ。」
父はそう言い残しています。
娘の好きだったキャッチボールを最後にしたかったのですね。
これは、新婦にとって最高のサプライズとなりました。
新郎とバトンタッチ
途中で父から新郎にグローブが手渡されてバトンタッチ。
新郎と新婦によるキャッチボールが始まります。
ですが、どこかおぼつかないキャッチボール。
やはり幼い頃からやってきた父と新婦のキャッチボールとはちがって少し息が合っていません。
二人の波長が合っていくのはまだまだこれからなのでしょうか。始まったばかりということですね。
最後には父と新婦と新郎でハグをしてフィナーレになりました。
周囲からの感動の拍手をいただきラストキャッチボールは終了しました。
父も新婦もこんなに微笑ましいことはないくらいに嬉しかったことでしょう。
父の些細な行動による感動のサプライズでした。
親だからこその愛情のこもったサプライズ
「娘が結婚するとは想像もできなかった。」
そんな父が結婚式で粋な計らいを見せてくれましたね。
これは幼い頃からの父親の娘に対する愛情があればこそ。
娘とやるならダンスではなく、キャッチボールだ。
そう思った父のとびきりのサプライズでした。
娘からのサプライズはあっても両親からのサプライズは日本ではそうそうないですよね。
両親からのこんな感動サプライズがあっても良さそうですね。
素敵な結婚式でした。
2. 結婚式に天国のパパからのメッセージが届く
幼い頃から大好きだったパパが、事故死してしまったことから始まります。
パパが亡くなってから時が経ち、大きくなった娘が結婚式を迎える事になるのですが・・・。
当日にまさかのサプライズ。
それは亡くなったはずのパパからの結婚祝いのメッセージだったのです。
驚きに隠された真実の話の全貌をご覧下さい。
大好きなパパはこんな人だった
パパは、高校へは行かずバイクレーサーを夢見る人でした。
ですが、事故に遭いその夢は断念することになります。
ですがバイクが好きだったので、その後の職は「バイクで書類を配達する仕事」をすることになりました。
その仕事にママの両親からは猛反対を受けていたため、結婚にも説得に時間がかかったそうです。
ですが、パパはこう言い放ちました。
「自分は命をかけて仕事をして、命をかけて家族を守るのです。それが自分なのです。」
と自身に満ちた想いで、両親に話します。
そうした説得もありパパとママは結婚し、私が生まれました。
私はパパが大好きでした。
休みの日はどんなに疲れていても必ず遊んでくれるのです。
ご飯も一緒に食べるのが日課になっていました。
家族の温かい団欒が私にはすごく嬉しかったのです。
パパは、私のわがままも聞いてくれる優しい人で、自転車の練習を始めた頃も一日中練習に付き合ってくれていました。
毎日、毎日当たり前のように保育園に迎えに来てくれて、夜は腕枕をしてもらって寝ていました。
いつも笑顔でいられたのはパパのおかげだと思っています。
突然の事故死?
それは、私は5歳で弟が3歳。パパが24歳の誕生日の事でした。
久しぶりに出かけたツーリングの途中で、ガードレールと接触してしまい起こった突然の事故。
体を強打し、即死とのことでした。
あまりのことに実感がわかず、意味も分からずにいたことを覚えています。
病院で見たパパの顔は、にこやかに微笑んでいました。
今でも不思議です。
ママと、ママの親族はひたすらに泣き続けていましたが、私は一滴の涙もこぼす事はありませんでした。
どうしても状況が理解できなかったのです。
ただ、お葬式が終わり、日常生活に戻り始めた頃に保育園にパパが迎えに来てくれないのを疑問に感じていました。
「どうして、パパは来てくれないの?」と何も疑うことなくママに聞きました。
ママは、「パパはお空に行ったんだよ。これからは3人で暮らすんだよ。パパはもう、ここにはいないんだよ。」と目を赤らめながらに言ってくれました。
必死に涙をこらえるママの姿を見ながら、私は「やだー!!」と喚いていました。
そんな幼少時代を終えて私も成長していきます。
16年後の結婚式
時は経ち、私も大きくなり結婚することになりました。
大好きなパパとママのことを想いながら、当日に読むための感謝の手紙を書いていました。
どれだけ長文で書いたかわからないくらい想いを込めて書いたのを覚えています。
当日、両親への手紙を読み始めるのでしたが、涙がボロボロとこぼれ落ちてきて思うように読めません。
ようやく、ママへの手紙を読み終えて、次はパパの手紙を読む番になりました。
「パパへ・・・・・。・・・・・・。」言葉が詰まって出てきません。
ふとママの方を見ると、手にはパパの遺影があり真っ直ぐにこちらを見ていました。
ママの大粒の涙が、遺影を伝いパパが涙を流しているように思えてきました。
さらに涙が止まらなくなります。
そんな時に司会の方から一言、「新婦のお父様から天国よりお祝いのメッセージが届いています。」と告げられました。
パパの残したメッセージ
突然のことに呆然としてしまいました。
ですが、そんな暇もなく、巨大なスクリーンから大好きだったパパの姿が現れたのです。
「ママ?話していい?」と、懐かしいパパの声が聞こえてきました。
「結婚おめでとう。大人になった姿はママに似て美人かな?パパは今、病気と闘っています。とても重い病気で長くは一緒にいることはできないかもしれません。それでも、パパにとって大切な宝物です。大好きです。薬を飲めばもっと一緒にいられたかもしれないのだけれど、それだと病院に入院し続けなければならなかったのでパパは断りました。パパは家族と家に居たかったのです。」
ここで一度、スクリーンは一時停止して母が喋り始めました。
「パパは事故で亡くなりましたが、それ以前に末期の癌だったのです。」と。
そしてこう続きました。
「パパは亡くなる前に、大好きだったバイクにもう一度乗りたいと言っていたのです。その願いを叶えるために友人と出かけたところ、突然の発作が生じ事故を起こして亡くなりました。」
そしてまた、スクリーンが始まります。
「パパはすっと大好きだよ。一緒にお酒を飲みたかった。孫も抱っこしたかった。そうそう、パパとの大切な約束を守ってね。パパがいなくてもママの言うことをちゃんと聞くんだよ。ママのお手伝いをするんだよ。パパとママをずっと、ずっと、大好きでいてね。パパが死んでも・・・・・、忘れないでね。生まれてきてくれてありがとう。」
VTRが終わると同時に、全員がその言葉に涙しました。
そしてスクリーンに向かって壮大な拍手が巻き起こったのです。
私はパパの笑顔を一生忘れないことでしょう。パパ、ありがとう。
素晴らしい家族愛が伝わるメッセージ
事故死ではなく、病とも闘っていたパパの感動のお祝いメッセージ。
まさかあるはずがないメッセージが大人になってから聞けるとは・・・。
誰もが涙する感動のサプライズでしたね。
羨ましいくらいの家族愛が伝わる話でした。
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